
今回は、ジョージ・ソロスがイングランド銀行を潰した話を紹介します。
FXを少しやってると、著名なトレーダーや投資家の名も何人か聞くようになると思いますが、その中でもジョージ・ソロスのインパクトは群を抜いています。
単純に知識の肥やしとしてとも面白い話だと思いますし、このような一人の人間が相場に与える影響を考える上でも知っておくべき歴史です。
目次
ジョージ・ソロスとは?
ジョージ・ソロスは、純資産270億ドルとも言われている、世界でも有名な超一流の投資家です。
ソロスは、1930年、ハンガリーのブダペストに住むハンガリー系ユダヤ人の家庭に生まれました。
1936年に、反ユダヤ主義の広まりに危機感を持ち、ユダヤ人に多い名前であったシュバルツという名前をソロスに変えます。
1946年、第二次世界大戦の影響で、ソ連に占領されたハンガリーから離れてイギリスに移ります。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに入学するものの、学費と生活は自力で稼ぐほかなく、昼夜問わず働き続けていたため、学費を払うたびに無一文になることもよくあったそうです。
そんな苦難を乗り越え、ソロスは、1952年に卒業することができました。
そして、1969年、ソロスは、ジム・ロジャーズと共にクオンタム・ファンドを立ち上げます。
このファンドは市場平均の収益率を35%上回るという運用成績を上げ、一躍有名になりました。
イングランド銀行を潰した男
1992年、当時のイギリスは10%近くまで失業率が上昇し、景気は大きく後退し、不景気真っ只中でした。
この頃のイギリスはEMS(欧州通貨制度)に参加しており、2通貨間の相場を±2.25%の範囲内に抑える固定相場制を導入していました。
もちろん、固定された相場を維持するために市場介入をしなくてはいけない状況でした。
そんなイギリスの状況に目をつけたのが、ソロスでした。
ソロスは、固定相場制を利用して、強烈なポンド売りを仕掛けたのです。
それにより、変動制限ラインの±2.25%を超え、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行は、ポンド買いの市場介入を行います。
しかし、ソロスはさらにこのチャンスを狙っていたのです。
イングランド銀行はさらなる巨額の資金を投じ、ポンド買いを開始し、ソロスに対抗します。
しかし、ソロスの仕掛けたポンド売りの圧力は凄まじく、この状況を見た他のヘッジファンドや投資家たちもソロスに追随していきました。
これに対しイングランド銀行は、さらに政策金利を最大15%に引き上げるなどの策を打って必死に抵抗しました。
しかし、その努力も虚しく資金が底をつき、一国の中央銀行が白旗を上げる結末となりました。
この時、ソロスは10億~20億ドルの利益を得たと言われています。
そして、この日の出来事は「暗黒の水曜日」と呼ばれるようになりました。
また、これをEMSからイギリスは離脱し、変動相場制を導入することになりました。
この事件から、一国の中央銀行に勝利した男として、ジョージ・ソロスは現在まで「イングランド銀行を潰した男」と多くの人に呼ばれ、語り継がれています。
まとめ
これからトレードをする際には、トレーダーや機関投資家だけでなく、時には市場介入という大きな力も働くということを把握しておく必要があります。
そして、それは時に一人の人間の行動がきっかけで起こることもあるということです。
しかし、そこからチャンスをものにしたり、危機を回避するような能力を身につけることができたりすれば、より稼ぎ続けていくことができるトレーダーに近づくのではないでしょうか。
また、現在は超一流の投資家であるジョージ・ソロスでも、過去には非常に苦労していたということは、現在苦しんでいるトレーダーにも励みになるのではないでしょうか。
目標とするには遠すぎる存在かもしれませんが、ソロスから学ぶべきところはまだまだあるんじゃないかと思います。
それでは今回は以上です。
ありがとうございました。